大阪の戦後復興の歴史を見つめてきた水掛不動尊は、すべての願いごとを手助けし、後押しし、正しい方向へと導いてくださいます。“水”を掛けるお不動さんだからこそ、水商売の繁盛にご利益があるとも言われます。すべての人に分け隔てなく与えられるお不動さんのご利益は、広大無辺。どんな願いごとも円満に成就するご利益をいただけるのです。
人情のあかりを、あったかい心で灯す場所。
水掛不動尊・金毘羅天王・お初大神・二河白道堂へのお参りは24時間いつでも可能です
ご朱印・お守り・お数珠・絵馬・おみくじ等をお求めの方は上記のお時間にお願いします
「なんば駅」下車なんばウォークB16出口から北へ徒歩1分
「日本橋駅」下車なんばウォークB18出口から北へ徒歩1分
大阪ミナミの繁華街から一歩路地に足を踏み入れると、古き良き浪花情緒あふれる一角にたどり着きます。そして、苔むしたお不動さんに水を掛け、祈りをささげる人々。私たちがお不動さんに「まいどおおきに」「おかげさんで」とお参りすれば、お不動さんは「こちらこそおおきに」と、救いの手をさしのべてくださいます。ときの住職である中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づき、
現在の大阪難波の地に移転しました。
念仏聖の専念法師は、人々の供養のために千日間にもおよぶ念仏回向を勤めるなど、
民衆に寄り添う日暮らしを送られました。
大阪ミナミの法善寺一帯の地域が「千日前」と呼ばれるようになったのは、琴雲法師が建立した法善寺は当時、山城国宇治郡北山村(現在の京都府宇治市)にありましたが、後を継いだ大和国(現在の奈良県)出身の中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づいて現在地への移転を決意したのです。
大阪難波に法善寺が完成したのは、寛永14年(1637)のことでした。
琴雲法師が貞享3年(1686)に77歳で亡くなったとの記録から推察すると、宇治郡北山村に所在していた期間はほんのわずかだったと考えられます。
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法善寺一帯の地域が「千日前」と呼ばれるようになったのは、専念法師が行った「千日念仏回向」に由来します。
法善寺は開創以来、火災や戦災を何度も経験しています。また、第二次世界大戦中の昭和20年(1945)3月13日には、第一次大阪空襲によって六堂伽藍のすべてが焼失しましたが、焼け野原の中に水掛不動尊のみが残っていました。
終戦から15年の間に「金毘羅堂」と「庫裏」を再建した法善寺でしたが、本格的な「本堂」の建て替えまでには至りませんでした。「西向不動明王」をはじめ、「金毘羅堂」「お初大神」などの
諸堂・諸仏を、いつでもお参りしていただけます。
たくさんの人から願掛けの水を掛けられ、緑あざやかな苔に包まれたお不動さんは、
すべての人に分け隔てなくご利益を与えてくださいます。
拝む姿が人から人へ、心から心へと伝わっていくよう、心を込めて手を合わせましょう。400年近い歴史をもつ法善寺ですが、実は“水掛け”の歴史は浅く、戦後すぐに始まったものでした。水掛不動尊を包む苔は、願いの数だけ広がり、願いの分だけ育まれてきました。すべての命の源である「水」を、全身で受けとめてくださるお不動さんは、いつも私たちの祈る姿を見つめておられます。
大阪の戦後復興の歴史を見つめてきた水掛不動尊は、すべての願いごとを手助けし、後押しし、正しい方向へと導いてくださいます。“水”を掛けるお不動さんだからこそ、水商売の繁盛にご利益があるとも言われます。すべての人に分け隔てなく与えられるお不動さんのご利益は、広大無辺。どんな願いごとも円満に成就するご利益をいただけるのです。
法善寺の西向不動明王は、梅田の太融寺、高津の清水寺と並ぶ「大阪三大不動」のひとつとして、篤い信仰を集めてきました。
どうして大阪の街なかに金毘羅さんが祀られているの?
この疑問の答えは簡単。その昔、難波が港町だったからです。
海がすぐそばにあった時代、難波は文字通り、海が荒れることで有名でした。現在も、交通安全や商売繁盛の神さまとして大切に守られており、毎年10月には地域をあげたお祭が盛大に営まれています。
水掛不動尊の南側に隣接する「二河白道堂(にがびゃくどうどう)」は、法善寺の新たな祈りのスポットです。「二河白道」は、私たちがこの世からあの世へ往生する様子を喩えたお話です。ここへ向かう唯一の方法は、お堂の真ん中を貫く一筋の白道しかありません。なぜなら、左は燃え盛る「火の河」、右は急流が押し寄せる「水の河」だからです。そんな時、「安心して行きなさい」と後押ししてくれるのがお釈迦さま。そして、「信じて来なさい」と声をかけてくれるのが阿弥陀さまです。“お稲荷さん”の信仰は、1200年もの長きにわたって人々の生活と結びついてきた身近なものです。この時、古き良き大阪の風情を取り戻そうと立ち上がったのは、千日前の地域を愛する府民・文化人・芸人など数多くの人々でした。法善寺横丁の復興に際して寄せられた“慈悲”に対する感謝の思いがつまった「お地蔵さま」は、法善寺や横丁に関わるすべての人の興隆と安全を願い、いつもやさしいまなざしを向けられています。
※制作:石彫家 奥村 美嗣氏
法善寺の北側にある2本の細い路地は、「法善寺横丁」と呼ばれ、
江戸時代からの活気が息づくミナミの観光スポットです。
長さ80m、道幅3mに満たない石畳の路地には、老舗の割烹や洒落たバーをはじめ、水掛不動尊にお参りした後は、古き良き浪花の風情が味わえる「法善寺横丁」へ。
狭い路地が続く法善寺横丁の入り口には、小さな2つの門が建っています。
昭和の上方演芸界を代表する2人が門に架かる看板の文字を書いており、西が藤山寛美さん、東が3代目桂春団治さんによるものです。
水掛不動尊・金毘羅天王・お初大神・二河白道堂へのお参りは24時間いつでも可能です
ご朱印・お守り・お数珠・絵馬・おみくじ等をお求めの方は上記のお時間にお願いします
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